この記事は、2011年9月の掲載記事「発達障害を脳科学ではどう考えるか?」を引用し、2012年当時の感想を2023年に加筆、修正しています。(引用記事は、2014年書籍「脳科学者・茂木健一郎の人生相談」に収録)
発達障害・みんな違ってみんないいを本気で信じてみることだ
発達障害は、神経発達症という名称に変更されました。脳科学者から見た神経発達症(発達障害)について脳科学者・茂木先生の記事から思ったことをまとめました。
発達障害という言葉が障壁だった!
2011年頃のお話です。発達障害という言葉に、我が子の未来を悲観する親御さんが大勢いました。無理心中という悲しい事件もありました。私も我が子の状況に悲観的になっていた一人ですが、記事に出会って我が子の脳の発達に希望を持ちました。
「発達障害」を脳科学という分野では、こう捉えていました。
「脳は、ここまでは正常だけど、ここからは障害である」というはっきりとした境が本来あるわけではありません。「こんな障害があります」と分かったからといってその子がどこか別の場所にいってしまうわけではないのです。一見、困ったことのようにみえる個性の中にも宝物が潜んでいるかもしれない。
2011年9月号の第三文明に掲載
同じ「脳」を扱っているのに、分野が違うとこうも捉え方が違う。記事を読んで、医療側の「脳機能障害だから治らない」という言葉に違和感を持ち始めました。
「みんな違ってみんないい」を本気で信じてもいいんじゃない?
厚生労働省・総務省が「神経発達症」に変更した理由について議事録ではこうあります。
患者さん家族に「あなたのお子さんはなんとか障害です」という病名を伝えると、かなりのネガティブインパクトを与えるということから、まずDMS-5で、その領域の障害を「症」に変えました。
第22回社会保障審議会統計分科会疾病、傷害及び死因分類専門委員会 議事録
議事録を読み進めると、日本語に訳する段階での伝え方についてあります。
それがなんとも…な感じなのです。
医療は、患者を治す方向性へ向いていなかったのだな、目の前にいる患者を診ていなかったのだな、と思えるような議事録なのです。
引用します。
日本語の「障害」、あるいは「碍」を書いたり、平仮名で「がい」と書いて、なるべく「害を為す」の「害」をですね、使わないようにしようという流れが生まれています。法律用語の中にも平仮名で「がい」が出てくることも散見されますけども、この「障害」は、実は英語でいうと「disability」の意味で、日本ではよく知られていまして、身体障害、精神障害、知的障害、発達障害等々の「障害者」といった場合は「disability」でございまして、「Panic Disorder」の「パニック障害」の障害とは意味が違う。精神疾患の、例えば「Panic Disorder」のようなものは、可逆性なものでありまして、それを「障害」というふうに訳しますと、「disability」であるかのような誤解を招いてしまうと。しかも、先ほども小児関係で申しましたが、患者さん家族に病名を伝えたときのインパクトが強いということもあって、「障害」というのは「disorder」です。しかも「order」が「dis」になっている。失調しているわけですから、日本語でいうと病だれの中に「order」である、「正しい」という、この漢字が相応しいのではないかというふうに考えております。
第22回社会保障審議会統計分科会疾病、傷害及び死因分類専門委員会 議事録
日本語に訳する時のセンスの問題?とも受け取れます。
脳科学から見た発達障害が、2012年の私の希望になった!
茂木さんは、自閉症と診断された人が脳の個性を活かして、ノーベル賞などの大きな学問的成果を挙げた事例を踏まえこう述べています。
「障害」という言葉は科学的にいえば必ずしも適切ではない。不得意なことのすぐ近くに「得意なことが潜んでいる」ことが多いのです。だから「みんな違ってみんないい」を本気で信じてみることだ。
2011年9月号の第三文明に掲載
これまでも、(我が子の)個性を知り、子の人生へつなげている親御さんはいます。
そして、その親御さんに共通するのは「みんな違ってみんないい」を本気で信じているんじゃないか?と私は思うのです。我が子の個性を知り、育てる中でグングン力をつけている障害のある人たち。
私も娘との生活を通じ、将来へつなげたい。
記事を読んで希望を持ちました。